【20代投資家】資産状況9月
おはよう御座います…
長らく、ブログ放置していました。
何があったわけでもありません、単純にパソコンに触れていないという体たらく。
暑すぎて、死んでました。
なんやかんやしているうちに、9月になってしまってましたので(しかも下旬)
資産の振り返りをしたいとおもいます。
前回、集計した際には、650万弱くらいだったような気がします。
〜〜〜〜〜〜〜前回までの記録〜〜〜〜〜
*貯蓄系
ゆうちょ :770000
タンス預金:320000
*投資系
外国株:3061560
投資信託:1631866
日本株:685560
計6569012
今回は三菱の貯金より投資信託へ、また通常の8.9月分の給料分加算して行きます。
結果としては‥
〜〜〜〜〜〜9月総資産〜〜〜〜〜
*貯蓄系
ゆうちょ :770000
タンス預金:320000
一一一一一一一一一一
貯金計 1752687
*投資系
外国株:3061308
投資信託:1631866
日本株:685560
流動性金融資産計 5378735
彡彡彡彡彡彡彡彡
一一一一一一一一一一一一一
総資産計7131422
ついに700万突破しました‥
(なお、2日後「27日」に楽天カード引き落としあり)
数日前までは、ガクッとすべての株が落ちていましたが
集計時はいいかっこするために
株価復帰+給料日+カード引き落とし前
で集計しています。
何はともあれ、ここまできました。
大卒2年8ヶ月で700万
株価が好調な分、振り下げに関しても大きくなっていくことは自明ですが、今後目標を微調整しながら750万目指して蓄財していきます。
【教養】本を読んで考えた
今の生活に不満はない。
気の置けない友人もいる、仕事においても信頼できる仲間、上司がいる、お金に関しても生活に困らないだけはもらっている。
ただ、今後の人生をよりよくしていくためには現状維持では衰えていくだけだろう。
人生の目的って何だろう、何のために生きているんだろう
うまく言語化できませんね…
“人間にとって教養とは何か”という本を読みました。
人間は、せかいをよりよくしていくこと
(人類におけるPDCAサイクルの加速)
が幸福であり、より幸福を実感するためには
まず現状を知ること
その世界における
現状の通説、理論、方式を知ることで改善を試みる土台を創造すること
義務教育、高校はこれらが主な目的であり
それが故、やや受身的な時期である。
(黙って勉強だけしていればなんか知らないが褒められる)
大学、社会人になってからは、その土台を生かし今度は世界に対して利益をもたらす
【改善のための行動】活動を行っていく。
(その基準が金であり、成果である)
その中で今度は
過程<結果 を出すことを求められ
それはペーパーテストのような明確な正解のあるものではなく
都度最適行動をその状況に応じセレクトし実践していくようなイメージだ。
と解釈しています。
有事に頼りになるのは教養だけであると筆者は述べています。
前述のように、教養とは現段階での、通説であることから
この世界の中でも
「過去に命題として与えられたことに対する、答え→まぁまぁいいんじゃない?」
と認められたもののみが伝わってきていると考えられるので
言い換えれば
「今まで人間が考えてきたことのすべて」
といっても過言ではありません。
これらの、現段階での最適解を知りつつ
ルーティン以外の事象(取引先とどう付き合うのか、競合に勝つにはどうするのか? 社内のマネジメントはどうするのか)
を解決するためには、教養が必要となってくるわけです。
漠然としてますが…汗
これが、最大の課題だなと社会人になって強く思いますよね…
ペーパーだけで、図れない頭の良さって
もちろん人当たりの良さ、言語能力といった先天的なものももちろんあるけれども
そういった部分補うのはやっぱり今までに培った教養(経験的、学習的)が重要になってきていて
単なる机上での能率とかでは測れないというのは実感しています。
こういうのって、「目的に対しての努力」じゃないから難しいんですよね…
パワポをうまく触りたいから勉強するみたいなものとは違って無意識的な領域
「いつ必要になるかはわからないけど、いつ役に立つのかわからない教養を広く蓄積していくことの重要性」
って、実体験的になかなか成果が表れないのでやりがい的な問題から継続が難しいですが
なんとなくこの本を読んで一見意味がなさそうなことや、経験も必ずどこかで必要になるんだよなぁというのは自身の腑に落ちました。
【身近で気になっていること】
水を熱したものが”お湯”と日本では形容しますが
外国では、あったかい水という意味合いでhot waterとあらわします。
でも、熱かろうが、冷たかろうがwaterはwaterだから
正確にはお湯=hot wateではないんだよなぁとかときどき思いますよね。
こんな感じの国ごとの概念の違いみたいなことに関してもちょっと勉強していきたいなと思います。
【たまたま英語に触れる機会があって気になったので単純な例ですが】
暗中模索ですが、日常での疑問を逃さず日々の共用の蓄積頑張っていきます。。。。。
なんかいいことあるかもね
おわり
【友情とは】アリストテレスフィリア論
先日高校の頃の友人が、二人続けざまに婚約を発表し我々界隈を騒然とさせるという事件が起こりました。
そのうちの一組には、即日お祝い訪問、彼女の幸せそうな顔を見ているとなんだか結婚っていいなと漠然ですが感じざるを得ないほどの新婚感…
ほほえましいったらない、得も言われぬ気持になりました。
本当におめでとう!!
さて、婚約発表の彼は高校時代から現在に至るまでの友人ですが
彼に関しては、祝い事は心から賞賛し、その幸せを一緒に分かち合える数少ない一人になります。
そこでふと感じたのは
「友人の中でも、知らない間にカテゴライズしている自分がいるかもしれない…」
という感覚です。
昔読んだ、アリストテレスのフィリア(友情)という考え方、【ニコマコス倫理学より】がものすごくしっくりくるものだったのでこれに沿って分類していこうと思います
~フィリア(友情)は大きく3つに分類が可能であるといわれている~
1 実用の友情
2 快楽の友情
3 善の友情
である。
1→2→3に行くほど、親密な関係を築いている友情におけるレベルを表すとフィリア論では語っている。
実用の友情とは…
他社への敬意無しでの友情のこと【いわゆるヨッ友というやつである】
こういった友人(もはや友人と呼べるのか?)は、アクセサリーのような感覚で友人であることを誇示したりされたりすることがある。
例 超ハイスペックな人に対し、一度だけ飲みの席で一緒になっただけにもかかわらず友人面するも実はそんなに仲が良くない
上記のような動機付けが失われたとき(付き合う理由がなくなった時)簡単に切り捨ててしまうのがこの“実用の友情”である。
快楽の友情とは…
人々集団内における趣味、趣向の共有が可能な友人である。
実用の友情よりも親密度としては高く、その存在をはっきり認知しており頼りになる存在であると自覚している状態である。
例 あんまり知り合いがいない飲み会だけど、まああいつがいるなら行ってもいいかな…
こう思える友人が快楽の友情を築いた状態であるといえる。
最後に、善の友情とは…
相互の性格を相互に楽しむことができる関係性のことだ。
その存在、性格を超越し、彼はああいう人間だけどそれも含めて彼らしい、と認識している状態。
フィリアの中でも最上級の状態であり、いわゆる親友、(彼女)はここに君臨する。
善の友情を増やしていくことが
目下学生時代の目標であったわけだが
なかなかここまでの関係性を生み出すことは難しい。
もちろんこの感覚的な面が大きい理論で
はっきりと現状の段階を評価することはできない、自己満足である。
ただ、善の関係性が人生を豊かにすることは間違いない。
おそらく、ここまでの人生をふりかえると、
友情に関しても、その割合に関しては保存すると考えられるので
(一度に深く付き合う人の数というのは一定数が限界である…)
これからも、今後の人生を豊かにするために今何をすべきなのか?
というところをかんがえ抜きながら今ある幸せをかみしめるとともに
はっきり見えている改善点
(ヒトモノカネ)
を充実させる努力を怠らないよう過ごしていく必要がありそうですね。
仕事、女、友人、お金…
やることいっぱいで楽しいなぁ…
悩みは尽きませんね( ´∀` )
おわり
【号外】名古屋の地にドラゴン現る?!
〜〜〜〜〜〜
「かくれろ!」
僕は、そう言って、夢中で野原を駆け抜けた。
彼はいつも初手はグー、僕はパーを出せば勝てるということはわかっていた。
パーを出したと同時に走り抜けお気に入りの草むらに駆け込んだ。
背の高い笹に囲まれ、人は入りにくく、視覚的にもかくれんぼには最適の場所だ。
ここで、難を逃れて漫画でも読みながらこのゲームを凌ごう。
そう思った矢先、「みぃ~つけた!」
友人が、まるで刃牙の花山薫のような【ニタァ】とした笑顔で無防備な僕を指さした。
何が起こったのか、なぜここがわかったのか。
到底理解できなかった
〜〜〜〜〜〜
こんにちは、コロナが渦巻くさなかではございますが。
私、人生出始めて風俗に行ってしまいました。
我々大学界隈では、風俗嬢のルポが面白い?!
と一時期話題になり、どんな人間が巣食う場所なのか?どんな人が来店しているのかなど興味はありましたがついに足を踏み入れました。
⚠実体験に基づき、ありのままですが体感には個人差があると思われます。
流れは以下の通りでした。
入店
↓
支払い、写真にて嬢を指名。
↓
待機(15分程度)
↓
ギャルソンに呼ばれ、孃とともに個室へ
↓
プレイ
↓
解散
60分 22000円(いたい…)
いそいそと入店し、禿げたおじさん、働いてないであろう中年男性を横目に、孃のスペックの書かれたカードで指名を始める。
僕は、推定Cカップ 高身長の孃を選択した。(ある程度身長があれば、たとえ写真より太っていたとしてもスタイルよく錯覚させることができるのではないか、という保険である)
が!!
現れたのは写真とはまるで別人、下っ腹は出ており、目にはくまがびっちり。
トイ・ストーリーに出てくる恐竜のおもちゃ レックスに酷似していた。
もちろん、体のスペックとしては触れ込み通りであったが入ってそうそう洗礼を受けた。
が、しかし腐ってもプロ。
彼女のプレイはプロ意識が感じられた。(僕は初めてですが)
高速手コキ、フ○ラ、更には、スマタまであらゆる攻めで、僕を蹂躪した。
しまいには尿道にシャワーを当ててくる拷問のようなプレイまで一時間みっちり堪能?できた。
プレイが終わったあとの、孃のニンマリした笑顔が
僕が幼少期に感じた友人の
【ニタァ】
とした笑いに酷似していた。
そう、冒頭で触れた
あの日草むらで見てきた友人
【龍野くん】
である
終わり
いい経験にはなりました。
名古屋でまた行くか?と言われると躊躇しますが、ハマる人はハマりそうな感じは確かにします。
今回マットヘルスでしたのでバテバテで終わりました、ご興味ありましたら是非名古屋 妖精で調べてご訪問検討してみてください。
もしかしたら僕が出会った、珍獣(失礼)にも、そうぐうできるかも!?
【20代投資家】2021/7資産状況推移
春過ぎてなつきたるらし 白たへの
衣干したり 天の香具山
春が過ぎ夏が到来した季節の移ろいの形容として
天の香具山に夏用の衣が干してある情景を見て詠んだ詩になります
平城京のある奈良から見える
橿原の山である香具山をゆったりとみながら詠むという非常に情緒あふれる趣を感じることができます。
俗に支配されていない彼らからすると自然から季節の移ろいを読み取るのでしょうが
さながら我々でいう、ノースリーブの女性が増えてきたことから夏を感じ取るような感覚なのでしょう。
夏が始まると、この歌を思い出します(なかなか共感はできませんが笑)
さて、7月次の資産を計算しました。
はじめに私の属性ですが
*24歳
*実家暮らし
*地方在住
*製造業メーカ
になります、6月の集計はモチベーションのためにいったんやめております。
なかなか、増えているという実感がないと心の平穏を保つのは難しい気がしております。
まだまだ修行が足りませんね。
さて、行ってみよう!?
*貯蓄系
ゆうちょ :770000
タンス預金:320000
*投資系
外国株:3047435
投資信託:772387
日本株:631590
計6569012(+1132095 +20.8%)
となりました。
今月はボーナスが入ったことと、先月分の集計を忘れていたことから+100万円くらい上昇しております。
大きな支出があるにもかかわらず安定した増加を続けることができております。
来月は大型出費(旅行等)があり一旦小休止する予定ではありますが
なるべく、引き去り分以外で賄えるように、しかし楽しむことを忘れないよう大胆かつ繊細なお金の使い方をしていきたいと考えております。
おわり
red light fantasy
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【回想】
ある、天気のいい昼下がりの高速道路だった。
当時、横を走っていた中年の男性が教えてくれた。
どこにでもいるでしょ、情報屋みたいな男性って
その彼がすごい、すごいって、目を見開いて大騒ぎしてた
このあたり結構飛ばし屋がいるんだって
正直、“誰だよ” って思った。
だって知らないよ、おれは山口県の田舎者もんだから。
おれは、道路といえば山陽自動車道(中国地方の道路)しか知らなかったし、たいていこの時間一般道しか走ったことなかったから。
大体おかしいじゃん、法定速度50キロの道を100km/sで走るなんてさ
すぐに、右後方ミラーを見てみた。
スマートな光を照らしながら走る一台のセダン。
当時おれたちのあこがれる車と行ったら、トヨタ86、スバルインプレッサみたいなスタイリッシュなタイプ。
びっくりした、背中にランプをつけたこんなにも不格好な車があるなんて。
それがどの車より輝きながら走行していた。
まさに、光だった。
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こんにちは、先日、自動車違反(6点)を献上し
違反者講習を受けてまいりました。
内訳は以下の通りです(罰金)
======================
信号無視 2点 (8000)
転回禁止 1点 (6000)
スピード超過
3点 (35000
これを経て、正式に行政処分の対象、平日10:00~17:00の監獄生活を強いられることとなりました。
ちなみに日本交通安全協会教本によると
制度としてはこのようになっており
生涯において、一度だけ6点に達したものには救済措置として講習会(資質検査+社会奉仕活動)を受けることによって
・点数リセット
・免停無し
の慈悲を受けることが可能になります。
ただ一度講習を受けた違反歴としては残りますので
次回以降6点取得時は短縮講習にて試験や、技能チェックを余儀なくされます。
つまり私は、この表で行くと今現在処分対象としてはまだ0回のところにカウントされるというわけです。
(免停処分(行政処分)は受けていないため)
ちなみに、違反者講習当日のスケジュールは以下の通りです。
9;00~9:40 受付
10:00~10:50 適性検査(正確診断)
11:00~11:50 ビデオによる講習+点数制度に関しての講義
12:00~13:00 昼休憩
13:00~16:00 社会奉仕活動(プラカードをもって道路わきに一列に並ぶ)
16:00~16:20 反省文作成
16:20~16:50 教本ビデオ視聴
17:00 解散
非常に休憩が多く、体感的にはあっという間だったのですが
このボリュームで6時間以上拘束されるということ自体がペナルティーだと
無駄な時間を過ごしすぎたという人生に対する罪悪感を感じたという点では、非常にきつい一日になりました。
周りを見渡すと、いかにもこいつ違反しそう(お前が言うな)な人が多く
こんなところに一秒でも長くいたら気が狂いそうな空間ではありました。
いろんな意味で反省しましたし、二度と違反はしないと心に誓った一日となりました。
違反関係で7万弱失いました、資産形成をがンバル皆様は違反しないように常に安全運転、
アオリニモマケズ、ワリコミニモマケズ 心にゆとりをもって過ごしていきましょう!
【時間的資産】大切な時間をどう過ごすか
子供のころの記憶が色濃く残る一方、大人になってからの一年一年はなぜだかものすごく早く過ぎる気がします。
子供のころよりも刺激が少ないから?
毎日が充実していないから?
たまに、人生を振り返っても、人生の中で重要なターニングポイントはいつもなんだか昔のことのように思う。
こんなこと、経験したことがある人も多いのではないでしょうか?
たった10分間のドッジボールでも、たしかな充実感を覚え、鮮明に記憶に残る小学生の昼休み、水泳の授業の後の心地よい疲労感とともに襲う睡眠欲もすべてが懐かしく思える時もあります。
じつはこの現象科学的に法則化されているようです。
19世紀フランスの哲学者、ポールジャネーの著書によって記されています。
“ジャネーの法則”
【生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢に反比例すると主張したもの】
Y(体感時間≒心理的長さ)=1/X(現在の年齢)
例えば50歳の人間にとっての、1年の長さは人生の1/50ほどであるが5歳の人間にとっては1/5であるといったように
生きてきた年数によって一年の相対的な長さがどんどん小さくなっていくことによって時間の経過が早くなるように感じるとのことです。
これを踏まえて、先ほどのY=1/X+1
(1/Xのままだと0歳の時に証明できないので一般化するために+1とします)
この数式の、面積から人生自体の体感%を表すことが可能になります。
したがって、年齢時点での面積を算出すればジャネーの法則上での
人生の何割を今の時点で過ごしているのかが推定可能だといえます。
*0歳から80歳
∫(0~80)1/X+1=【log(X+1)】(0~80)
=log81-log1
=1.908-0
=1.9
ジャネーの法則から大まか0~80歳までの体感蓄積時間を1.908だと推測可能です。
次に0歳から20歳までの20年間を同じように算出すると
∫(0~20)1/X+1=【log(X+1)】(0~20)
=log21-log1
=1.32-0
=1.32
よって
∫(0~20)1/X+1/∫(0~80)1/X+1=1.32/1.908
=69.3%
人生を80年だと仮定したとき
20歳までの体感的時間はおよそ人生全体の70%を消化している計算になります。
他の年齢もついでに掲載します
10歳…53%
20歳…70%
30歳…80%
40歳…85%
50歳…90%
10歳の時点で折り返しを迎え、引退まであと10年以上を控える50歳の時点で人生の9割を終えている計算になります。(あくまで蓄積体感時間ではありますが…)
これの原因としては、やはり体感的刺激の問題が大きいようです。
子供のころは、初めて体験することばかり毎日が新鮮で新しい出会い発見がありますが、大人になるにつれ、新しい経験をすることが減っていきます。
毎日があっという間に過ぎてしまうと嘆いている大人(私含めですが…)
の皆さんはもしかしたら現状に満足して人生に悪い意味で刺激がない飽きている状態なのかもしれませんね
このまま今の生活を続けていてもあっという間に人生が終了してしまう可能性もあります。
10年後には、今の生活よりももっと早く過ぎてしまうのですからね…
あたらしいことを学び続けていた、探求心の塊だったいつかの日を思い出して毎日必死に生きてみるというのもいいのではないでしょうか?